引間です。
今日は嬉しいことがありました。
定年退職されたM先輩とお会いしてお話したことです。
Mさんは74才と言ってましたので、もう辞めて10年くらい経ちます。
今日は、川越でパチンコ店解体の現場が自宅に近いので遊びに来てくれました。
Mさんは、『しんた元気かー』と昔と変わらない。でも髪が大分白くなり、いいお爺さんになってました。
現場では、いつも厳しく、仕事は早く、気が利く職人さんでした。ときおり不機嫌になったり、イライラ
したりしましたが根は優しい人でした。私も大学のアルバイト時代、それから職人時代に大分可愛がってもらいました。
よく怒られたり、教えてもらったり、ジュースをおごってもらったり、いっぱい想い出がありますが
一緒に汗かいて働いた数々のことは、忘れられない大事な思い出になっています。
話していて、びっくりしたのは、私の会社に対する想いと同じことをMさんが私に語ってくれたことです。
それから、創業社長についても語ってくれました。
『忠雄社長が社員の家族も守ると言ってくれ、俺はその当時嬉しかったんだよ。』
『どこも長く務まらなかった俺が、最後まで働けたのはこの会社だからだよ』
『いいメンバーに恵まれたんだな』
『営業しなくても仕事が来るのは、信用だよな。営業マンも大事だけど、現場で働く俺たちが営業なんだよな』
『しんたも大変だろうけど、みんなを守るんだぞ』
など、たくさんの熱い想いを語ってくれました。
忠雄さんは私の叔父で、もう他界していますが、そういう気持ちで会社を経営していたんだと
初めて知りました。だから、昔から、みな辞めないで大家族的な会社だったんだとわかりました。
そう言えば、私が子供の頃、叔父のお父さんがいた頃は、社員の家族も一緒に御岳山にバスで行き
初詣をしたり、夏は川遊びをしていました。その当時自分は子供だったので、何も感じませんでしたが
今思えば創業時から温かい会社だったんですね。叔母さんも一緒に二人三脚で創業したと聞いています。
昔の職人さんって一見、怖いし、怒りっぽいし、口やかましかったりで若い時は近寄り難い感じでしたが
今思うと愛情表現だったり、厳愛だったのですね。その当時もわかっていたのですが素直になれなかったんです。
私は、未熟で、感謝の気持ちもまったく足りなかった、強がってたな、と思います。
Mさんのような昔ながらの職人がいなくなった今、もっといて欲しかったと思います。
今からでも、動けなくてもいいから、いて欲しいと思います。
辞めた当時もまだまだ動けたのに、若い者に迷惑掛けるからって辞めてしまったんです。
常に全力投球だったから、体力の限界だったんですね。70才過ぎまで残って欲しかった先輩は他にもいます。
しかし、先輩に頼らず、僕たちが受け継いでいかなければならないと思いました。
先輩達が作ってくれた当社の歴史、伝統、信用をこれからの若い世代に繋いでいくことが
僕らの役目であると強く思いました。
辞めても、会いに来てくれる関係。嬉しいです。
先輩に恥じない、少しでも発展させて安心させてあげたい。
そして、何かの折には、呼んで感謝の気持ちを伝えたい。
そう思いました。
今日は、グッと胸が熱くなり、目もにじみました。
M先輩ありがとうございます。